仮放免許可を得て釈放されている難民申請者は、たいていの場合3ヶ月ごとに入管に行き、仮放免許可延長の申請を行わなくてはならない。
その申請書には、申請者の名前や生年月日、保証人の署名のほかに、延長の理由を記す場所もある。
ここの部分、どう書いたらよいかと尋ねられることも多く、たいていぼくはこんなように書くように勧める。
「現在難民認定申請中のため仮放免許可の延長を申請いたします」
なにか根拠があるわけではないが、これで許可がもらえなかったという話も聞いたことはない。
あるとき、やはりこのような理由を記して延長の申請に行った人がいて、その理由を見て入管の職員がこんなふうに言ったそうだ。
「あなたは難民申請のために何をしていますか? もし認定されなかったらどうします? 他の国に行きますか?」
その職員の人は申請者のことを以前から知っていたのでこんなことも言ったそうだ。
「あなたは英語ができるから、アメリカやオーストラリアに行ったらどうですか? もしそうしたいなら、今のうちにアメリカやオーストラリアの大使館に行っていろいろ情報を調べておいたり、書類をもらっておいたほうがいいですよ」
はじめにこの話を聞いたとき、ぼくはこの入管の職員はひどく意地悪な人だ、と思った。つまり、申請者に「あなたは難民としてはダメだから、諦めたら? 早く国に帰れば」と遠回しに行っているように感じたのだ。
しかし、この申請者が感じ、理解したところによれば、むしろその逆で、この職員は、親切心からそういったようなのである。
とはいえ、これも少し奇妙なことだ。というのも、この職員の人はこんなふうに言っているように聞こえるから。「あなた、日本なんかで難民認定を待つなんてアテのないことは止めて、別の国にチャンスを求めたほうがいいよ」
おそらく、申請者の印象通り、この職員が非常に親切な人であることは間違いないだろう。しかし、その人の対応をどう解釈するかはなかなか難しい。
それは究極的には、入管の難民審査を入管職員自体が信じていない、という日本人にとってはなはだ残念な事態を意味しはしないだろうか。
2010/01/31
2010/01/30
反省上手
子どもを小学校に通わせるビルマ難民の母親が語るには、運動会やバザーなどの学校のイベントの後に保護者が行う反省会ほど、日本人の素晴らしさを感じるものはないとのこと。
つまり、できなかったこと、上手くいかなかったことを話し合い、記録して、次回の改善に結びつけるという発想は、ビルマではまったくなかったことで、こういうことを繰り返しているから、日本はかくも発展したのだ、というのだ。
実際にビルマの人々とともに活動をしてみて、この人々が自分の活動についての反省や評価を会議としてしているのを見たことがない。もちろん、反省のみが進歩の決め手というわけではなく、ほかにもやり方はあろうが、あるいは今なお民主化運動が進展しないのはひとつにはこのせいもあるかもしれない。
しかもこの日本人の「反省会」には、ビルマの人にとって驚くべきことがもうひとつあって、それはこの反省会に出席している保護者がお金持ちであろうとそうでなかろうと、平等に発言し、協力している、ということなのだそうだ。
「反省会」などと聞くとめんどくさい感じがして、イヤケがさすが、見る人によっては別の見方があるもので、こうした意見を聞くのは面白い。
つまり、できなかったこと、上手くいかなかったことを話し合い、記録して、次回の改善に結びつけるという発想は、ビルマではまったくなかったことで、こういうことを繰り返しているから、日本はかくも発展したのだ、というのだ。
実際にビルマの人々とともに活動をしてみて、この人々が自分の活動についての反省や評価を会議としてしているのを見たことがない。もちろん、反省のみが進歩の決め手というわけではなく、ほかにもやり方はあろうが、あるいは今なお民主化運動が進展しないのはひとつにはこのせいもあるかもしれない。
しかもこの日本人の「反省会」には、ビルマの人にとって驚くべきことがもうひとつあって、それはこの反省会に出席している保護者がお金持ちであろうとそうでなかろうと、平等に発言し、協力している、ということなのだそうだ。
「反省会」などと聞くとめんどくさい感じがして、イヤケがさすが、見る人によっては別の見方があるもので、こうした意見を聞くのは面白い。
2010/01/28
微妙な発音あるある(2)
しかし、どうして一部の日本人にとって「みゃ」よりも「みや」のほうが発音しやすいのか、その原因は考えてみるに値する。
かといって、ぼくにいい答えがあるわけではないが、ひとつだけあげるとすれば、日本語には「みゃ」を含む語が非常に少ないという事実がある。
「みゃ」を使った言葉、といってさっと思い浮かぶのは、「脈(みゃく)」しかなく、辞書を調べてみてもこの「脈」を用いた言葉に尽きるといっても過言ではない。そもそも、「みゃ、みゅ、みょ」は日本語では英語からの借用語を除けばあまり出てくる音ではないようだ。
そんなわけで、日本人にとって「みゃ」は、意外に発音しにくいのだ、といえるかもしれない。「ディスコ」の「ディ」がいえずに「デスコ」という年配の人がいるが、それと同じようなものといえる。
とはいえ、「脈」は日常的によく使う言葉であるし、これを「みゃく」ではなく「みやく」と発音するのも聞いたことがない。だから、ここに書いた推測以外の何らかの原因が「みやんまー」という発音には関わっているにちがいない。
かといって、ぼくにいい答えがあるわけではないが、ひとつだけあげるとすれば、日本語には「みゃ」を含む語が非常に少ないという事実がある。
「みゃ」を使った言葉、といってさっと思い浮かぶのは、「脈(みゃく)」しかなく、辞書を調べてみてもこの「脈」を用いた言葉に尽きるといっても過言ではない。そもそも、「みゃ、みゅ、みょ」は日本語では英語からの借用語を除けばあまり出てくる音ではないようだ。
そんなわけで、日本人にとって「みゃ」は、意外に発音しにくいのだ、といえるかもしれない。「ディスコ」の「ディ」がいえずに「デスコ」という年配の人がいるが、それと同じようなものといえる。
とはいえ、「脈」は日常的によく使う言葉であるし、これを「みゃく」ではなく「みやく」と発音するのも聞いたことがない。だから、ここに書いた推測以外の何らかの原因が「みやんまー」という発音には関わっているにちがいない。
2010/01/27
微妙な発音あるある(1)
先週の土曜日放送された「音楽ば〜か」で、ミュージシャンのByork(oの上に点2つ)を「ビョーク」と発音すべきか「ビヨーク」とすべきか、という話題をきっかけに、さまぁ〜ずの大竹一樹が「グァム」なのか、それとも「グアム」なのか、という「微妙な発音あるある」に触れていた。
「あるある」とまでいえるかどうかわからないが、かなりの数の日本人が「ミャンマー」を「みゃんまー(myam-maa)」ではなく、「みやんまー(miyam-maa)」と発音していることが、何となく気になっていた。
テレビでも後者の発音をする人がいて、「報道ステーション」の古館アナウンサーもそうだ。
ビルマ人の発音からいうならば、「みや」ではなく「みゃ」のほうが近い。
とはいっても、これは日本語の発音の問題だから、「みゃ」でも「みや」でもどちらでもよく、ビルマ人の発音にとらわれずに日本語として発音しやすいほうを選べばよいのはもちろんである。
「あるある」とまでいえるかどうかわからないが、かなりの数の日本人が「ミャンマー」を「みゃんまー(myam-maa)」ではなく、「みやんまー(miyam-maa)」と発音していることが、何となく気になっていた。
テレビでも後者の発音をする人がいて、「報道ステーション」の古館アナウンサーもそうだ。
ビルマ人の発音からいうならば、「みや」ではなく「みゃ」のほうが近い。
とはいっても、これは日本語の発音の問題だから、「みゃ」でも「みや」でもどちらでもよく、ビルマ人の発音にとらわれずに日本語として発音しやすいほうを選べばよいのはもちろんである。
2010/01/22
ヘーゲル弁証法的成長観(1)
ぼくが大学生だったのは90年代のことで、バブルに浮かれていた時期でもあったが、そんな華やかな時代でも60年代の学生運動の残響が、かすかどころかときおりガンガンと鳴り響きはじめる、そんな迷惑な大学にいた。
ぼくはある偶然のいきさつからその大学で社会活動系のサークルに所属していて、そのサークルはマルクス主義とか左翼思想とは無縁だったけど、60年代70年代の学生運動期を生き延びたこともあり、やはりその「時代の空気」を多分に残していた。
学生のサークルというものは目的もさまざまだが、その成員の精神的成長を考慮に入れるというのは多かれ少なかれ共通していると思う。
「自己啓発」的なノリではなくても、学生というものが学年という階層で仕切られ、やがては卒業していく学生が活動を下の学年に伝えることでサークルの伝統を形成していくという性質がある以上、何らかの意味で「育てる」ということが日常的な営みとして意識されるようになる。
とはいえ育て方といってもいろいろある。体育会系や、音楽サークル、趣味のサークルに応じた育て方があるにちがいない。もっとも、ぼくは自分の所属していた社会活動系のサークルのやり方しか知らない。
さて、ぼくが学生だった頃のそのサークルでは学生の成長とはこんなふうな3段階を経るものと考えられていた。
①強烈な体験、鋭い問いかけ、厳しい言葉などによって今までの自分を否定される。
②否定された状況の中で、真剣に自己を問い直すことで、自分の殻を破る。
③新たな自分へと成長する。
このような成長モデルがどこでどのように生まれたかは知らないが、その起源が正反合のヘーゲルの弁証法にあるのは間違いないと思う。ぼくはずっと後になってこのことに思い至り、これを「ヘーゲル弁証法的成長観」と呼ぶことにした。
とはいえ、ぼくはヘーゲルの思想について詳しく学んだことはないから、この「弁証法」もあくまでも通俗的な理解にすぎない。しかし、社会に与えた影響を考慮するのならば、むしろこの俗流理解こそ重要なのだ。
ぼくはある偶然のいきさつからその大学で社会活動系のサークルに所属していて、そのサークルはマルクス主義とか左翼思想とは無縁だったけど、60年代70年代の学生運動期を生き延びたこともあり、やはりその「時代の空気」を多分に残していた。
学生のサークルというものは目的もさまざまだが、その成員の精神的成長を考慮に入れるというのは多かれ少なかれ共通していると思う。
「自己啓発」的なノリではなくても、学生というものが学年という階層で仕切られ、やがては卒業していく学生が活動を下の学年に伝えることでサークルの伝統を形成していくという性質がある以上、何らかの意味で「育てる」ということが日常的な営みとして意識されるようになる。
とはいえ育て方といってもいろいろある。体育会系や、音楽サークル、趣味のサークルに応じた育て方があるにちがいない。もっとも、ぼくは自分の所属していた社会活動系のサークルのやり方しか知らない。
さて、ぼくが学生だった頃のそのサークルでは学生の成長とはこんなふうな3段階を経るものと考えられていた。
①強烈な体験、鋭い問いかけ、厳しい言葉などによって今までの自分を否定される。
②否定された状況の中で、真剣に自己を問い直すことで、自分の殻を破る。
③新たな自分へと成長する。
このような成長モデルがどこでどのように生まれたかは知らないが、その起源が正反合のヘーゲルの弁証法にあるのは間違いないと思う。ぼくはずっと後になってこのことに思い至り、これを「ヘーゲル弁証法的成長観」と呼ぶことにした。
とはいえ、ぼくはヘーゲルの思想について詳しく学んだことはないから、この「弁証法」もあくまでも通俗的な理解にすぎない。しかし、社会に与えた影響を考慮するのならば、むしろこの俗流理解こそ重要なのだ。
イベント紹介
1月4日はビルマの独立記念日だが、1月、2月は非ビルマ民族の開催するイベントも数多い。今年、日本で開催されるものについて、未確認のものも含めて紹介しよう。
1月3日 カレン新年祭
文京区、在日カレン人主催。カレン人の伝統行事。本来は12月に行うもの。
1月10日 カチン州の日
豊島区、カチン民族機構(日本)主催。カチン州設立を記念する記念日。
1月31日 カレン革命記念日
主催:カレン民族同盟(日本)
場所と時間:駒込文化センター4F 午後6時〜9時
KNUがビルマ政府に対し武装闘争を開始した日を記念する。
2月7日 第63回シャン・ナショナルデー
主催:在日シャン民族民主主義会
時間:午後 1時〜3時半
場所:豊島区民センター6 階ホール
2月7日にはまたモン民族の記念日、カレン民族記念日、カチン革命記念日の式典が行われるとの情報があるが、詳しくはわからない。
2月14日 ビルマ連邦記念日
主催:在日ビルマ連邦少数民族協議会
時間:午後1時〜9時
内容:式典と歌と踊りの披露
場所:南大塚ホール(豊島区)
2月21日 第62回チン民族記念日
主催:在日チン民族協会
時間:午後6時〜9時
場所:豊島公会堂
すべて参加するのは難しいが、ポケモン・スタンプラリーに参加するような気持ちで回ってみるのいいかもしれない(ただし、カチン革命記念日は例年非公式な集いとして開催されるので、案内状などはないと思う)。
1月3日 カレン新年祭
文京区、在日カレン人主催。カレン人の伝統行事。本来は12月に行うもの。
1月10日 カチン州の日
豊島区、カチン民族機構(日本)主催。カチン州設立を記念する記念日。
1月31日 カレン革命記念日
主催:カレン民族同盟(日本)
場所と時間:駒込文化センター4F 午後6時〜9時
KNUがビルマ政府に対し武装闘争を開始した日を記念する。
2月7日 第63回シャン・ナショナルデー
主催:在日シャン民族民主主義会
時間:午後 1時〜3時半
場所:豊島区民センター6 階ホール
2月7日にはまたモン民族の記念日、カレン民族記念日、カチン革命記念日の式典が行われるとの情報があるが、詳しくはわからない。
2月14日 ビルマ連邦記念日
主催:在日ビルマ連邦少数民族協議会
時間:午後1時〜9時
内容:式典と歌と踊りの披露
場所:南大塚ホール(豊島区)
2月21日 第62回チン民族記念日
主催:在日チン民族協会
時間:午後6時〜9時
場所:豊島公会堂
すべて参加するのは難しいが、ポケモン・スタンプラリーに参加するような気持ちで回ってみるのいいかもしれない(ただし、カチン革命記念日は例年非公式な集いとして開催されるので、案内状などはないと思う)。
2010/01/16
第62回カチン州の日式典
カチン民族機構(日本)(KNO-JAPAN)主催で第62回カチン州の日式典(KSD)が1月10日豊島公会堂にて午後6時から9時30分までの間開催された。カチン州の日の由来については昨年の記事「第61回カチン州の日(第2回演説記録)」を見てほしい。
今年のKSDも例年どおり、式典と歌舞の披露の2部構成。時間の都合で、第1部しか参加できなかった。もっとも盛り上がる第2部を見なかったせいか、全体としてややおとなしめの印象が残った。これは特別ゲストがいなかったせいかもしれないし、また、在日ビルマ人社会全体として少し士気が下がっていることに起因するのかもしれない。
議長のピーターさんの挨拶でも触れられていたように今年は軍事政権の選挙の年で、多くの在日ビルマ人の中に、これが強行されたらもう民主化は無理だ、との諦めムードもある。また、それなりの数の難民が難民認定されたり在得許可を得たりして、一息ついているせいもあるだろう。
しかし、ビルマ民族はともかく、ほとんどの少数民族がこの選挙結果いかんによっては自分の民族は消滅するかもしれないとの危機感を抱いている。この危機感をビルマ人と日本社会にいかに伝えていくかが、これからの活動で重要になると思う。
そのような意味では、KNO-JAPANの事務局長マリップ・センブさんが、田辺さんの優れた通訳と、クムサウン・クンセンさん制作のスライドショーをつかって行ったカチン州の現状のプレゼンテーションは優れたものだった。
少し衝撃的な写真もあったが、これは多くの人に見てもらうべきだと思う。
各民族でこうしたプレゼンテーションを制作して、一度に話してもらったら面白いのではなどと考えてみたりする。
ところで、会場受け付けではプログラムを記したパンフレットが配られ、また別の場所でNO-JAPANの規約(カチン語〔ジンポー語〕、ビルマ語、日本語)の小冊子が手渡された。しっかりした体裁で、規約自体も立派なものだが、ある人の話によれば、幹部の中にはこの規約が配布されることを知らされていなかったものもいたとのことだった。
そのせいかどうかわからないが、この規約にはいつどのような会議(総会)で承認されたという、規約の効力を保障する重要な一文が欠けているので、これはあくまでも規約案としてみるべきなのかもしれない。


今年のKSDも例年どおり、式典と歌舞の披露の2部構成。時間の都合で、第1部しか参加できなかった。もっとも盛り上がる第2部を見なかったせいか、全体としてややおとなしめの印象が残った。これは特別ゲストがいなかったせいかもしれないし、また、在日ビルマ人社会全体として少し士気が下がっていることに起因するのかもしれない。
議長のピーターさんの挨拶でも触れられていたように今年は軍事政権の選挙の年で、多くの在日ビルマ人の中に、これが強行されたらもう民主化は無理だ、との諦めムードもある。また、それなりの数の難民が難民認定されたり在得許可を得たりして、一息ついているせいもあるだろう。
しかし、ビルマ民族はともかく、ほとんどの少数民族がこの選挙結果いかんによっては自分の民族は消滅するかもしれないとの危機感を抱いている。この危機感をビルマ人と日本社会にいかに伝えていくかが、これからの活動で重要になると思う。
そのような意味では、KNO-JAPANの事務局長マリップ・センブさんが、田辺さんの優れた通訳と、クムサウン・クンセンさん制作のスライドショーをつかって行ったカチン州の現状のプレゼンテーションは優れたものだった。
少し衝撃的な写真もあったが、これは多くの人に見てもらうべきだと思う。
各民族でこうしたプレゼンテーションを制作して、一度に話してもらったら面白いのではなどと考えてみたりする。
ところで、会場受け付けではプログラムを記したパンフレットが配られ、また別の場所でNO-JAPANの規約(カチン語〔ジンポー語〕、ビルマ語、日本語)の小冊子が手渡された。しっかりした体裁で、規約自体も立派なものだが、ある人の話によれば、幹部の中にはこの規約が配布されることを知らされていなかったものもいたとのことだった。
そのせいかどうかわからないが、この規約にはいつどのような会議(総会)で承認されたという、規約の効力を保障する重要な一文が欠けているので、これはあくまでも規約案としてみるべきなのかもしれない。



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