2014/04/16

水かけ祭りの映像

4月13日にビルマの水かけ祭りが日比谷公園で行われた。そのとき撮影した短いビデオ。Here, There and Everywhereはなかなかいい。



肉の歓び

肉の歓びというともっぱら性的なものが思い浮かぶが,子持ちになってみると,自分の(あるいは自分が慈しんでいる)子どもを抱くというのも,肉体を通じた歓びの大きなものであることに気がつく。

入国管理局収容所には,ビルマ難民に限らず,多くの外国人が閉じ込められているが,なかには自分の子どもと引き離されている人もいる。

また,わたしの周りにいるビルマ難民にも,収容により1年いやそれ以上の子どもとの別離を経験してきた人がいる。

これらの人々は,自分の子どもがいかに愛おしくても,少なくとも入管にいる間は抱くことができないのである。面会室で短い間,顔と顔を会わせることはできる。声を聞くことはできる。だが,触れることはかなわない。

こうした別離が子どもに与える悪影響は言うまでもないが,収容されている親にとっても大きな傷跡として残る。罪悪感,理不尽な怒り,抑鬱状態……。正確な調査はまだこれからだが,多くの収容経験者と家族がいまなお苦しんでいるはずだ。

ところが,こうした問題を認識したせいかどうか知らないが,入国管理局のほうの対応も最近,少し変わってきているという。

BRSAの事務局長のフラティントゥンさんが教えてくれたのだが,品川の入管では,子持ちの被収容者は,面会のさいに自分の子どもと触れ合うことができるようになったのだそうだ。

「昔と違うね,今の入管は優しいね」と,やはり収容経験を持つフラティントゥンさんは言う。

なんでも弁護士面会室には仕切りがないそうで,そこで家族が直に会うことができるのだということだ。

「子どもを抱っこしたりはできるけど,奥さんにチューとかはできません!」

さすがにそっちのほうの肉の歓びはだめか。

BRSAの声明

2014年4月13日,在日ビルマ難民たすけあいの会は以下のような声明を発表した。BRSAの会員の声をわたしがまとめたものだ。最後の会長に関する件は,笑ってしまうが本当のことだ。

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在日ビルマ難民たすけあいの会(BRSA)

当会の会員を含むビルマ難民認定申請者に対する入国管理局の見解といやがらせに関する声明

2014年4月13日

難民行政に関わる入国管理局をはじめとする日本政府諸機関のみなさま,およびビルマと難民の諸問題に関心を持つすべてのみなさま

わたしたち在日ビルマ難民たすけあいの会(BRSA)は2008年3月にビルマ(ミャンマー)難民と日本人とにより結成された政治団体であり,在日ビルマ政治活動家の生活を支援することを通じてビルマの民主化を促進することを目的としています。わたしたちの会には,現在200名以上もの難民認定申請者が会員として活動しており,わたしたちはこれらの会員が直面している不安定な生活,不十分な医療,入国管理局への収容などのさまざまな問題に日々対処しております。本日,ここに公にする3つの項目からなる声明は,これらの会員の切実な悩みより生み出されたものですが,そのうちはじめの2点は,当会の会員ばかりでなく,日本におけるビルマ難民認定申請者すべてが共有している思いであると,わたしたちは考えております。わたしたちは,本声明で述べられた事柄に関して入国管理局が速やかに改善してくださることを求めるとともに,みなさまからの問い合わせ,意見,提案,協力を心から待ち望むものであります。

1)ビルマ難民認定申請者がいまなおビルマにおいて命の危険があるということを,難民認定審査に携わるすべての方々が真摯に理解してくださるようわたしたちは求めます。

2011年3月のテンセイン氏を大統領とする新政府発足以来,ビルマの状況は大きく変わりました。しかしながら,わたしたちの見解では,ビルマはまだ多くの政治活動家にとっては安全な国ではありません。政府は今なお軍の影響下にあり,民主主義,法の支配,人権の保障,民族の平等,平和が本当に根付いていると考えられる状況にはまだありません。そして,現在のビルマ政府がこれらの国外の政治活動家の命を守るためにいかなる保障も措置も講じていないことと併せて,多くのビルマ難民認定申請者は,自分,そして家族の命が今のビルマ政府によって守られることはないと考えております。しかしながら,難民認定審査の現状においては,しばしば国外退去させることを目的とした審査が行われ,多くの難民の声が反映されぬままとなっております。わたしたちは入国管理局のこのような結論ありきの審査ではなく,ビルマの現状に即した審査が行われるよう求めます。そしてそのためならばわたしたちはどのような協力をも惜しまないでしょう。

2)難民認定申請を取り下げさせることを目的とした入国管理局職員による難民認定申請者に対する不当ないやがらせや圧力にわたしたちは断固として反対します。

入国管理局を訪問する多くのビルマ難民認定申請者が,入国管理局職員からのいやがらせや脅しに不快感と恐怖感を感じています。仮放免中の申請者は,定期的に仮放免の延長の手続きのために担当部門におもむきますが,そこでは職員たちが「今はビルマもよくなっているから帰りなさい」,あるいは「あなたたちはどうせ難民(認定)はダメだよ,そうなったらどうする,入管に捕まるよ」などと,手続きには関係のない発言を行い,申請者たちに難民認定申請を取り下げるよう圧力をかけたり脅したりする行為が日常的に繰り返されています。また,難民認定申請を希望する者に対し,難民認定申請書を渡さなかったり,「税金の無駄だから自分でネットでダウンロードしなさい」などと言ったりして,申請を妨害する行為もたびたび報告されています。難民認定申請者に対するこうした圧力,いやがらせ,妨害は,はたして難民条約上許されることでしょうか。あるいは,出入国管理及び難民認定法に基づく行為なのでしょうか。もしそうでないのならば,入国管理局は難民認定申請者に対するこのような不当な行いを直ちに改めなければなりません。

3)当会会員に対して出された難民不認定処分理由書中の,当会に関する記述には誤解もしくは無理解に基づくものがあり,わたしたちはこれらの訂正を求めます。

当会会員に対する難民不認定処分理由書に,しばしば当会が単なる支援活動団体であり反政府活動を行う政治団体はないとの記述がなされ,これが当会会員の難民不認定の理由のひとつとされることがあります。しかしながら,当会は①在日ビルマ政治活動家の生活を支援することを通じてビルマの民主化に関与し,②他の民主化団体と協力して日本国内における反政府活動に積極的に関わり,③インターネットや刊行物を通じてその反政府的立場を明らかにし,④ビルマ国内の民主化勢力,反政府政治活動家への継続的支援・協力を行っている反政府政治団体であり,理由書の記述は当会の活動に対する誤解もしくは無理解に基づくものです。

また,当会会員に対する難民不認定処分理由書には,当会会長がビルマへの「入国を許可された」ことについても不認定理由の一部として言及されることがあります。ですが,そもそも日本国籍者である当会会長がビルマへの入国を許可されたという事実は,あくまでもビルマ政府の外国人への処遇という問題に関わるのみで,ビルマ国籍を有する当会会員の難民性,および当会の持つ反政府活動団体としての性質とはまったく関係のない事柄です。

ネーミョージンさんの逮捕

2013年11月13日,エーヤーワディ地方のパンタノウ郡警察により,ネーミョージン(Nay Myo Zin)さんが逮捕された。



ちょうどそのときわたしは彼が運転する車の助手席に乗っていて,その逮捕の様子とその後の法廷でのやりとりを撮影することができたのであった。

このビデオを在日ビルマ難民たすけあいの会(BRSA)の報告会でいろいろな人に見てもらっているが,ありがたいことに反応はとてもよい。

解説がないと分かりにくいかもしれないが,YouTubeにその映像をアップし,またBRSAのサイト内にも解説のページを作成した。

以下のリンクからごらんください。

BRSAが捉えた   ネーミョージン,逮捕の瞬間
         連行されるネーミョージン 
        法廷のネーミョージン

2014/03/05

報告会のお知らせ

【在日ビルマ難民たすけあいの会(BRSA)報告会】
「あるポスト・サフラン・ジェネレーション活動家の逮捕」

警察に拘束されているネーミョージン氏

新 たな国と古い国,新しい権力と古い権力,新しい社会と古い社会,新しい価値観と古い価値観がせめぎあう現在のビルマで,新しい運動・活動が多くの人々の支 持を集めています。それは社会的支援活動を政治活動の中心に据え,インターネットなどのメディアを手段として駆使するポスト・サフラン・ジェネレーション とでもいうべき人々です。

2013年11月13日,そのポスト・サフラン・ジェネレーションの代表的な活動家の1人 であるネーミョージン氏がエーヤーワディ管区にて逮捕されました。BRSA会長,熊切はそのとき彼と行動をともにしており,彼の逮捕,それに引き続く法廷 での緊迫したやりとり,そして釈放までをビデオに収めることができました。

今回,BRSAの報告会としてみなさんにごらんいただくのは,その一部始終であり,類例のない記録を通じて明らかになるビルマの現在の姿です。

活 動家はどのように逮捕されるのか,国家が人の権利をないがしろにするとき何が起きるのか,そして,活動家はいかなる目論見を持ってこの迫害に対処したの か……この記録からは,ビルマにおける法の支配の欠如が具体的な細部とともに浮かび上がります。ですが,そればかりではありません。そこには社会を変えよ うとする人間ならだれしもが直面する運命があります。

ネーミョージン氏は軍上層部の腐敗を目の当たりにして軍を辞した元大尉であり,現在は政治活動家・社会活動家として,ビルマの農民の生活向上のための支援活動を行っています。

「民主化」されたビルマのいまだ変わらざる一面と,ビルマの新たな政治潮流に光を当てるこの報告会にぜひご参加ください!

内容:ビデオ上映(約50分)と解説(熊切拓BRSA会長)

日時:3月14日(金)・3月28日(金)[内容は同じです]

時間:19:00〜21:00

場所:BRSA事務局
(東京都台東区上野3-12-5大同ビル2F Burma Concern内) JR山手線御徒町駅より徒歩3分。御徒町南口1(駅前広場側)を秋葉原方面に進み,3本めの通り(居酒屋南部百姓家の角)を入る。その先の郵便ポストがあるビル。

参加費:1,000円(資料代など)

連絡先:brsajp@gmail.com

主催:在日ビルマ難民たすけあいの会(BRSA)

【在日ビルマ難民たすけあいの会(BRSA)は 2008年に在日ビルマ難民と日本人によって設立された政治団体です。あらゆるビルマの難民・国民のためのさまざまな支援活動を行っています。ウェブサイ ト:http://brsajp.blogspot.jp/

協力:ビルマ・コンサーン 

2014/02/23

キックボクシング,ムエタイ,Kahprek

保育園にいる娘の友だちのお父さんがキックボクシングの元選手でコーチをしている方で,試合があるというので日本キックボクシング連盟のチケットを貰った。

なんでもキックボクシングの裾野を広げるためにジムの会長から数枚配るよう頼まれたとのことで,わたしの背後はもう崖なので裾野は広がりそうもないにしても,ありがたいことなので,もう1人のお父さん友だちと一緒に2月22日に後楽園ホールに行ってきた。

出かける前に娘が「殴って血を流すようなところに行かないで!」と止めたが,男にはそうと分かっていても行かなければならない時がある。キックの将来を背負っているのならばなおさらだ。

目当ては,チケットをくれた方がセコンドを務める試合で,彼のジムの福舘正選手(NKBウェルター級4位)は見事勝利した。


その他で印象に残った試合は2つあり,ひとつは10年のブランクを経て復帰した45才の三苫純次選手と30才,ミドル級2位の塚野真一選手の試合で,双方が必死で戦う姿に感銘を受けた。


人間はある年齢を過ぎると死を意識するようになる。そして,生活のあらゆる局面がその死との関係とにおいて立ち現れるようになる。ただし,これは別に大げさで悲壮なものではなく,もっとありきたりの感覚だ。若い頃の「〜できれば死んでもいい!」が「〜するまでは死ねない!」に変わるような程度の。

そして三苫純次選手の試合ぶりは明らかに後者のもので,それがよく表れていた。残念ながら負けてしまったが。

勝利した塚野選手が,難病に冒されたジムの仲間のためにどうしても勝ちたかった,とリングで語ったのもよかった。

この試合中,三苫選手が出血したため,試合を中断してドクターの判断を仰ぐ場面が3度ほどあった。しかし,リングサイドにいるはずのドクターがどこにもいないのである。結局試合は中止されることなく最後まで戦われたが,ドクターがいたらあるいはストップが掛かっていたかもしれない。

わたしが想像するに,このドクターは北千住の薄汚れた界隈の町医者で,三苫選手の古くからの友人だろう。医者として,そして友人として彼の復帰に反対してたのだ。だが,そんな忠告を聞く三苫選手ではない。彼はこの復帰戦で死んでもいいと思っているのだ。で,いよいよ試合だ。リングに向かう三苫選手に彼は「勝手にしろ!」と怒鳴る。そして殴られても殴られても立ち向かって行く彼の姿に「もう見ちゃおれん!」とリングを離れる。で,場外で歓声を聞きながら安い日本酒をあおっていたはずだ。「俺がいたらストップかけちまうだろ……」と呟きながら。

あくまでも推測にすぎないが,この酔いどれ医者のおかげでわれわれは最後まで見ることができたというわけだ。

メインイベントの試合では,NKBライト級1位の大和知也選手(写真)がNKBウェルター級2位マサ・オオヤ選手をKOした。トリにふさわしい試合だった。


観客たちはイカつい人ばかりかというとそうでもなく,親子連れもいた。ヤジも面白かった。とくに「鼻折っちゃえ!」てのが。またもう声がすっかり潰れてて「ブロロロロブロロブロロロロてんだよ! ブロロロロロ!」としか聞こえない人もいた。知り合いがリングにいたらわたしも叫んでいたかもしれない。

聞けば,キックボクシングはタイのムエタイから派生した競技なのだという。わたしはまったく別のものだと思っていた。それで実力もタイと比べると日本はまだ敵わないとのことだ。

わたしの大学の頃からの友人に,下関崇子という人がいる。2人とも文学部で,タイもビルマも知らない頃からの付き合いだが,彼女はやがてタイに行きムエタイを始めた。その頃の経験を後に『闘う女。―そんな私のこんな生きかた』という本にしている。この本の帯には「えっわたしがムエタイの選手?」とあり,それを見た誰もが「もっと早く気付けよ!」と突っ込んだことだろう。彼女はいまタイ料理の専門家としても本を書いたり教えたりしてけっこう活躍している。

わたしはタイ国境の難民キャンプに行くのでしばしばタイに行ったが,バンコクに住んでいた彼女のところにも幾度か足を運んだ。あるときは彼女のムエタイのジムに行き,その蹴ったり叩いたりする練習風景を見せてもらった。

すると,タイ人のムエタイ師匠がやって来て,わたしを見ながら彼女に尋ねた。

「だれだ,こいつは。どこのビルマ人だ?」

おそらくタイ人にとってアヤシい人間はみなビルマ人に見えるのだろう。

ビルマの格闘技といえばラウェーというムエタイに似た競技が有名で,カレン人の選手も多いという。

また,アメリカのキックボクシングのチャンピオンはカチン人だ(もっとも今はどうだか知らない)。

AUNG LA NSANGという人で「ビルマの大蛇 "THE BURMESE PYTHON"」とのリングネームで知られている。

この人のお父さん,Nsang Tu Awngさん(Nsangは姓)もまたカチン人の中では有名な人だ。パンカチン発展協会(Pan Kachin Development Society, PKDS)というNGOの代表で,カチン難民のためにいろいろな支援活動をしている。

2012年6月に戦争中のライザに行ったとき,わたしはこの人にいろいろお世話になったが,自分の息子の活躍に非常に誇らし気であった。

さて,この時にわたしはカチン独立機構(KIO)の若いスタッフに難民キャンプなどを案内してもらった。

ムンオンという偽名を持つこの青年はまたカチン独特の格闘技のあることを教えてくれた。

それは有名な俳優ラズィン・ラートエが1980年代始めに創始したもので,テコンドー・空手・柔道をミックスしたものだとのことだ。カチン語での名前はクプレッ(KAHPREK)で,カチン・カラテともいわれている。

キックを多用する格闘技だが,キック・ボクシングとは違うそうだ。

クプレッはカチン州のあちこちに道場があるそうで,特に州都ミッチーナーには多い。KIOの支配する町,戦場に近いマイジャーヤンにもかつてあったがもうないとのことだった。また,KIO本部のあるライザでは数年前に大会が開催されたこともあったという。

KAHPREKの意味についてムンオンはこれは擬音で素早さを表すと説明してくれたが,この語にはまた動詞として "to slap(ひっぱたく)"の意があることもオラ・ハンソンのカチン語辞書に記されている。

カチン州以外ではそれほど知られてないせいか,ネットで調べてもあまり出てこないが,YouTubeに次のような非常に短い動画があった。どんなものだか多少は分かるかと思う。




【おまけ】
後楽園ホール5階会場から下に降りる階段は落書きでいっぱいだ。



2014/02/18

幸せのブルーバード

難民申請する人の付き添いで東京入国管理局に行きました。

そのとき偶然にも幻の青い鳥に遭遇し,慌てて撮影。


最初はピンぼけですが,2回めはみごと成功!



入管のマスコットキャラ「とりぶ」です。

こいつが載っているチラシかなにかを入管で探したのですが,なかったのでポスターのヤツをひそかに撮影しました。

入管にもあったのですね,幸せが……。

次は実物の捕獲を目指します!

「荒れ狂う遠くの海へ
走る道 そうさ
強い風 飛ばされた涙が
なぁ ブルーバード
道標みたいに遠ざかる」
「ブルーバード」(キリンジ)