2010/06/16

2010年の選挙に反対するグローバル・キャンペーン(3)

細かいことかもしれないが、そう簡単に片付けられるとは思われない。軍事政権の選挙に反対するということには、二つのことが含まれている。ひとつは 軍事政権の「政治」(もっともそれが本当の意味で政治とみなせるかどうかはさておき)であり、これに反対を表明するのはある意味では簡単だ。

もうひとつは、軍事政権の選挙の進め方、投票システムに対して反対するということで、これを表明するには、現物をもって、すなわち軍事政権のそれに対置されるより民主的な投票のシステムをもってするほかない。

その点からすれば、今回の「投票行動」は、準備不足であったように思う。

ビルマ民主化運動では、理想は高邁、スローガンは勇ましいが、現実的具体的な政策、方策となるとからきし、という事態にしばしば直面する。そこまでひどくはないが、今回の集会も、それに似た詰めの甘さを感じた。

もっとも、こうした試み自体を否定するわけではない。限られた時間、予算の中で精一杯やったのだ、ということは理解している。しかし、日本の民主化 活動がどのようなビルマをつくりあげるのかを現実に即した形で構想し、今回のような集会においてもできるかぎり実践する、という段階に達しないかぎり、本当に効果的な運動はできないだろうし、また日本社会の理解も得られないのではないかと思う。

(ちなみに今回、日本人が4名、投票の立会人として参加し、そのうちのひとりに加えてもらった。)

開票

2010/06/15

2010年の選挙に反対するグローバル・キャンペーン(2)

好意的に解釈すれば、参政権自体が奪われているビルマの人々にとって、たとえ擬似的、象徴的であっても、投票という行為自体が、政治的に意味を持つと考えることもできる。

とくに1990年の総選挙で投票したことのない若い世代にとっては、これは貴重な体験であろうし、この投票集会が、政治的自由についての感覚を養うきっかけになるかもしれない。

しかし、そうであるならばなおさら、その政治的自由という感覚を保障する投票システムについてももっと鋭敏であってよかったのはないかと思う。

今回の投票にさいしては、投票者はまず受付で名前、所属団体、電話番号を記し、次に投票用紙をもらい、会場の前面隅にあるホワイトボードの裏でチェックを記入し、その後前面に据えられた投票箱に入れるという仕組みになっていた。

これでは厳密にいうと、多重投票は防ぎえない。つまり、「有権者名簿」にあたるものがないため、投票者の照合(と排除)ができないのである。もちろん、民主化活動家を自認する人々の投票であるから、そのような不届き者はいるはずもないが、実際の投票ではそうした「経歴」や「良識」「善意」をアテにすることはできないし、そうしたものに依存せざるをえないようなシステムは、決して公正には機能しないだろう。

受付


 
記入所


 投票箱

2010/06/14

2010年の選挙に反対するグローバル・キャンペーン

2010年のビルマ軍事政権の選挙への意思を表明する信任投票集会(6月13日、池袋)に、投票立会人のひとりとして参加しました。

320人以上の民主化活動家が参加し、その投票の結果は次のようなものでした(詳しい結果は声明文で発表されるそうです)。

投票者数:326名

民主的選挙を支持:312票
軍事政権の選挙を支持:1票
無効票:13票

2010年の選挙に反対するグローバル・キャンペーン(1)

2010年のビルマ軍事政権の選挙に反対するグローバルキャンペーン(The Global Campaign Against Burma's 2010 Military Elections)の一環として、6月13日午後1時から、豊島区立健康プラザ7F会議室で、在日ビルマ民主化活動家による信任投票集会が行われた。

信任投票集会というのは、民主的な選挙と軍事政権による選挙のどちらを求めるのか、ということを投票によって意思表示しようというもの。

投票用紙は、この日用いられたものとは若干異なるが、似たものをグルーバルキャンペーンの日本語版オンライン署名のサイトで見ることができる。B5の紙にスーチーさんの顔とタンシュエ大将の顔の写真が上下に並べられていて、スーチーさんの横には「本当の選挙」、タンシュエの横には「軍の選挙」と書かれていて、それぞれの選挙の特徴も記されている。この顔の横にある升目にチェックを入れる仕組みだ。

どちらにするかといわれれば、スーチーさんのほうに決まっている。そんなわけで、もともと結果のわかりきっているこの投票は、政治的な意思表示以上のものではない。

もちろん運動としてはそれでよいのだが、こんなわかりきったことをやるために、300人以上もの人が集まって、箱に紙を入れる行為に何らかの生産性があるのかは、意見の分かれるところだろう。

2010/06/09

アルファベット

ビルマ国内で用いられている文字には大まかにいって2つの系統がある。

ひとつはインドのブラーフミー文字に由来するもので、モン語、ビルマ語、シャン語、カレン語などがそれぞれの言語に適応させてこれを用いている。

もうひとつはいわゆるローマ字で、カチン人の諸言語やチン人の諸言語がこれで表記されている。

もっとも、ブラーフミー文字もローマ字も起源は一緒で、古代の中東で使われていた文字体系にさかのぼる。

ローマ字のほうは、 英領時代にアメリカ人宣教師によってもたらされたもので、この文字体系を用いるチン人とカチン人にキリスト教徒が多いのと無関係ではない。

文字体系の優劣は一概にいえることではないが、少なくとも現在のインターネットの世界ではローマ字、特に英語の文字体系が標準なので、これはローマ字系の文字体系をもつチン人とカチン人には大いに有利に作用している。

もちろん、ビルマ文字などを用いることも可能だが、その簡便さは比べものにならない。

あるチン民族がインターネットでチャットをしながらこんなことをいった。

「こんなふうにチン語で言葉のやりとりをしていると、事情を知らないビルマ人が驚くよ。お〜すごい、英語でチャットしてるって!」

2010/06/07

短命政権

菅直人が首相になった日、あるビルマ難民がこう言った。

「ビルマ軍事政権トップのタンシュエ大将が日本の政治家を招いて訓練すれば、長期政権間違いなしだね。」

2010/06/04

退会届

BRSAの会員が亡くなったので、前年度の事務局長のウ・テインリン(U Thein Lin)さんと葬儀に行った。

斎場に運ばれる前の棺は小さな霊安室に置かれていて、遺族とビルマのお坊さんがその部屋にぎゅうぎゅう詰めになっていた。

ぼくとウ・テインリンさんとほかの参列者たちは入り口にたむろして、遺族たちの唱和するお経を聞いたり、雑談したりしていた。

30分ばかりの儀式が終わりに近づいた頃、ウ・テインリンさんがふところから封筒を出した。中には手書きの手紙が入っている。それは何か、と聞くと彼は

「この人は亡くなったので、退会届を持ってきたのです」

と答えた。いくらBRSAの会員だからといってそんな形式的で、遺族感情を逆なでするようなことをここですることはないだろうと、ぼくは、ビルマの人々が時おり妙に官僚主義的な振る舞いをするのを思い出しながら考えた。だが、すぐに気がついた。

「ああ、それがビルマのやり方なのですね」

「そうです」

お経が終わり、泣き崩れる遺族たちを知人たちが抱え、部屋を出ていく。ウ・テインリンさんは、棺に近寄り、封筒からその退会届を取り出した。そして、死者の前で読み上げ、棺の蓋をちょっと開けて中に入れた。