2010/01/16

第62回カチン州の日式典

カチン民族機構(日本)(KNO-JAPAN)主催で第62回カチン州の日式典(KSD)が1月10日豊島公会堂にて午後6時から9時30分までの間開催された。カチン州の日の由来については昨年の記事「第61回カチン州の日(第2回演説記録)」を見てほしい。

今年のKSDも例年どおり、式典と歌舞の披露の2部構成。時間の都合で、第1部しか参加できなかった。もっとも盛り上がる第2部を見なかったせいか、全体としてややおとなしめの印象が残った。これは特別ゲストがいなかったせいかもしれないし、また、在日ビルマ人社会全体として少し士気が下がっていることに起因するのかもしれない。

議長のピーターさんの挨拶でも触れられていたように今年は軍事政権の選挙の年で、多くの在日ビルマ人の中に、これが強行されたらもう民主化は無理だ、との諦めムードもある。また、それなりの数の難民が難民認定されたり在得許可を得たりして、一息ついているせいもあるだろう。

しかし、ビルマ民族はともかく、ほとんどの少数民族がこの選挙結果いかんによっては自分の民族は消滅するかもしれないとの危機感を抱いている。この危機感をビルマ人と日本社会にいかに伝えていくかが、これからの活動で重要になると思う。

そのような意味では、KNO-JAPANの事務局長マリップ・センブさんが、田辺さんの優れた通訳と、クムサウン・クンセンさん制作のスライドショーをつかって行ったカチン州の現状のプレゼンテーションは優れたものだった。

少し衝撃的な写真もあったが、これは多くの人に見てもらうべきだと思う。

各民族でこうしたプレゼンテーションを制作して、一度に話してもらったら面白いのではなどと考えてみたりする。

ところで、会場受け付けではプログラムを記したパンフレットが配られ、また別の場所でNO-JAPANの規約(カチン語〔ジンポー語〕、ビルマ語、日本語)の小冊子が手渡された。しっかりした体裁で、規約自体も立派なものだが、ある人の話によれば、幹部の中にはこの規約が配布されることを知らされていなかったものもいたとのことだった。

そのせいかどうかわからないが、この規約にはいつどのような会議(総会)で承認されたという、規約の効力を保障する重要な一文が欠けているので、これはあくまでも規約案としてみるべきなのかもしれない。

2010/01/12

乾杯音頭

前回披露宴の席次について書いたが、この披露宴には結局ぼくはほとんど参加できなかった(ちなみにぼくの席は民主化活動家側)。前の用事で遅れたため、着いた時にはすでに新郎新婦が退場するところ。

退席する招待客の流れに逆らって会場に入ると、司会を務めていたAさんに「乾杯の音頭をお願いしようと思っていたのに」といわれ申し訳ない気持ちでいっぱいになる。前もって聞いていれば時間を調整したのだが。

そこで2次会に参加することにする。会場は高田馬場のビルマ料理屋。入ると、すでに何人かビルマ人がいて、カラオケで歌っている。

歌う気はないが、滅多に見ることもないので分厚い曲目リスト本をぱらぱらめくり、梅宮辰夫の「シンボル・ロック」まであるのを見て感心する。この店には日本語の歌の他に、ビルマ語のカラオケも充実している。

ビルマ人たちはバラバラとやってくる。さっきのAさんが隣に座って、新郎新婦がやってきたら乾杯をお願いします、という。一度しくじった後なので、もちろん、と引き受ける。

しかし、どんな挨拶をすべきか、何を言うべきか。考え出すと緊張する。これから夫婦そろって民主化を・・・・・・今年の選挙には・・・・・・日本の中のビルマ人社会のために・・・・・・こんな堅いのはよくないと思い直し・・・・・・なにか、なにかユーモアを・・・・・・三つの袋が・・・・・・給料袋、おふくろ、池ふくろう、有袋類、布袋寅泰・・・・・・やぶれた翼で

わっと歓声が上がる。新郎新婦が華やいだ表情で料理屋に入ってくる。入り口近くに座った人々は立ち上がって、拍手したり、はやし立てたり。Aさんがぼくにマイクを渡そうとする。「え、今?」 お店の中は沸き立っていて、グラスを掲げる冷静には今しばしというところ。

「番号をいれてください」

「番号?」

ぼくはそのとき理解する。Aさんが頼んだのは、乾杯の音頭ではなく、長渕剛の「乾杯」だったことに。あわててリストをめくり、探し当てて入力してもらう。Aさんは「これから乾杯を歌います」などと勝手に発表している。そして、よくメロディを知らないぼくは、サビとサビの間を薄氷を踏む思いで歌いきったのだ。

もっともサビの部分はみんな知っていて、大合唱。ビルマ語バージョンもあるようで、後で誰かが歌っていた。

民主化席次

日曜日にビルマ人の友人の結婚式があった。

結婚披露宴で招待客の席次をどう配置するかに心を砕くのは、日本人であろうと、ビルマ人であろうと変わりはないが、民主化活動家の場合はさらに特別な心遣いが必要となる。

というのも、招待客の中には、様々な事情から軍事政権と折り合いよくしなくてはならない人々もいるためで、そうした人々が、民主化活動家の結婚式に列席したことで、後になって責められたり、尋問されたりして、生活や商売のうえで支障を来さないように配慮しなくてはならないのである。

今回の結婚式では、招待客の座る円卓が三列に並べられたが、そのうち端の一列が、「政治に関わりたくない」友人たちに割り当てられたのだという。そうすれば、写真をとるにしても、他の2列の「政治に関わっている」客たちが写り込んでしまう危険が避けられるのである。

2010/01/10

カレン新年祭(3)

カレン新年祭の目玉と言えば、音楽だ。

バンドの演奏する音楽に合わせて、みんなで歌い踊りまくる、本当にお祭りらしい時間だ。

今回演奏したのはエクソダスというバンドで、在日カレン人で結成されたバンドだ。とはいっても、バンドメンバーはこれまでもカレン新年祭でやはり演奏してきた人ばかりだ。

なぜ、今年になってバンドの名前を付けたのか。それはこのバンドの中心メンバーのひとりにして、カレン新年祭の中心人物でもある人が、「ついに」と難民認定申請をしたことと関係ある。

要するに、「逮捕を恐れて暮らす生活はもう終わり、音楽活動も堂々としようではないか」というわけだ。公然と練習できるようになったせいか、これまでのカレン新年祭での演奏に比べて、格段に上で、だれることがあまりなかった。

実は何年か前、ぼくもカレン新年祭で演奏に加わったこともあった。今年もあわよくばなどと思っていたが、諦めざるをえなかった。

エクソダスというのは聖書の出エジプト記のことだ。長い難民生活を余儀なくされているカレン人の現状と約束の地への希望を表現しているのだろう。

曲目はビルマ語の歌もあるが、ほとんどがハードロック。いちばんの盛り上がりは、ディープ・パープルの「ハイウェイ・スター」だった。





2010/01/09

カレン新年祭(2)

カレン新年祭は2部構成だ。

第1部は式典で、カレン民族の歌を歌ったり、カレン人の歴史、カレン新年祭の由来などのスピーチがある。カレン民族の旗を前にして行われるやや堅いものだ。これが1時間弱。

次の第2部は文字通りお祭り騒ぎだ。食べて飲んで歌って踊って、日頃の憂さも忘れて大いに楽しむのがこのカレン新年祭の醍醐味だ。

食べ物はカレン人たちが持ち寄ったビルマ料理、中華料理など。どんなものがあったか列挙してみよう。

焼きそば
焼きビーフン
豚肉の煮物
お茶の葉と牛肉を和えた料理
鶏肉を辛く煮たもの
干し魚
魚料理
エビの料理
豚足のスープ
キュウリのサラダ
ゆで卵の料理
ザーサイ
などなど

以前のカレン新年祭ではカレン名物の猿料理も出たことがあった。

飲み物は缶ビール、缶チューハイなどが会場の隅で売られていた。ジュースやお茶は無料である。

カレン新年祭に欠かせないのは料理、酒、音楽。しかし、この3つが可能な会場は都内になかなかない。料理持ち込み禁止だったり、音楽の演奏ができなかったり、毎年会場探しに苦労しているようだが、今年はよい会場であったと思う。

会場費は8万程度とのこと。参加費が千円で、参加者は150人と言うから、会場費、音楽の機材費など含めても赤字にはならなかったのではと思う。

2010/01/08

カレン新年祭(1)

第11回のカレン新年祭が本郷のホテル機山館で1月3日に行われた。

カレン新年祭(Karen New Year)というのは、カレン人の伝統祭事のひとつで、カレン人のいるところならばどこでもお祝いされるものだ。本来は12月に行われるものだが、日本では休日が取れないので最近は1月のはじめが多い。

と はいえ、ビルマ国内では事情が違うようだ。最近ビルマから逃れてきたあるカレン人女性によれば「現在の軍事政権の以前、1988年以前はわたしたちカレ ン人の住む場所では許可を得れば毎年カレン新年祭にはカレンの旗を掲げて記念式典を盛大に行うことができましたが、現在の軍事政権が政権を奪ってからはこ うしたお祝いは全面的に禁止されて、お祭りを行うことができなくなりました。」とのことだ。

さて、第11回というのは日本でこのお祭りが開催された回数のこと。1997年がたしか第1回で、一昨年に開催されなかったほかは毎年開催されている。

ぼくは第2回から参加し続けているので(ただし昨年は除く)、このカレン新年祭の参加者の中でも古株のひとりだ。変わらない顔もあれば、新たにビルマからやってきた人々もいる。親友の多くはすでにビルマに帰ってしまった。

ぼ くがはじめて参加した当時はほとんどの在日カレン人が「不法滞在者」だった。しかし今ではほとんどが難民(あるいは難民認定申請者)だ。そのため、政治 とは関わりを持ちたくない一部の在日カレン人にとってはやや敷居の高いイベントとなってしまった(なぜなら政治活動家と一緒にいたことが政府に知れると大 変なことになるから)。


式典で披露されたカレン・ダンス

2010/01/01

年賀状

入管に収容中のビルマ人で、ぼくが仮放免の保証人をしている方から暮れに手紙をいただいた。丁寧な筆遣いの日本語でこんなふうに書いてある。

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謹賀新年

昨年は公私ともにお世話になり、ありがとうございました。

先生の(ママ)私をご指導くださり、心より感謝しております。

まだまだ至らない私ですが、一生懸命努力いたしますので、今年もなにとぞご指導のほどをお願い申し上げます。

ますます寒さが厳しくなってまいります。お体にはくれぐれもお気をつけ下さい。

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保証人を引き受けたことが「指導」になるとは思えないので、少しずれているような気がしないでもない。おそらく挨拶文の例文集の中で一番ふさわしいと思ったものをそのまま引き写したのだろう。いずれにせよ、感謝の表現であるにはちがいない。

やや身に余るこの文面をそのままこのブログの年頭のご挨拶とさせていただきます。