2011/08/06

DOOMED ENOUGH No.1(日本語版)

「DOOMED ENOUGH No.1」は在日ビルマ難民たすけあいの会(BRSA)の機関誌「セタナー」第3号(2011年5月29日発行)に載せてもらったもの。

もともと英語(たいした英語ではない)だったので、このブログに載せるにあたり、日本語版も作ってみた次第だ。



骨太の名演説(2)

このロンジー、どのように着るかというと、まず下半身を筒の中に入れる。そして余った丈を脇でピンと張って、その両端を絞るか、ぴったり折り畳むかして、腹のあたりで合わせて丸めるのである。ま、なかなか言葉で説明できるものではない。要するに、これを身につけるにベルトもボタンも紐も用いないということが分かればよい。

わたしがロンジーに着替えるために立ち上がると、ある人がトイレで着替えると良い、と勧めてくれた。これはもちろん、普通はロンジーの下は下着だからである(下着すら履かないこともある)。だがわたしは断って、会場の隅で着替えはじめた。というのも、わたしはたいていズボンの上から纏うことにしているから。

直に履くなんてとてもじゃないが危なすぎて!

わたしはロンジーには慣れ親しんでいるつもりだし、タイ国境に行くときは一日中それで過ごすこともある。だが、それでも真似事に過ぎない。ビルマの人の着こなしに比べれば、わたしのそれはいかにも野暮、優美でも粋でもない。

よく若い人がへその下あたりでキュッと丸くダンゴを作って纏っている姿を見かけるが、これは実にイナセそのもの、惚れ惚れする。だが、不慣れなわたしはそんな風には行かない。

しかも、見た目だけでないのだ。何一つ留める物がないのに、このロンジー、着る人が着ればまったくずり落ちない。ヤンゴンの街角では、財布を腰とロンジーの間に挟んで歩いている人によく出くわすが、これはまったく驚くべきことだ。わたしがそんなことをしたら、財布がいくつあっても足りゃしない。

つまり、ロンジー文化で生まれ育った人にとっちゃ、ロンジーとは確かな相棒みたいなもの。いつだって、しっかりしがみついててくれる。ところが、こちとらベルトの文化で育ったほうにとっちゃ、その逆で、そいつは隙を見ちゃ逃げ出したがる油断のならんヤツだ。ふと立ち上がった瞬間、あるいはちょっと腹に力を入れた瞬間にいくどハラリとほどけ落ちたことか。けだしロンジーとは重力との闘いにほかならぬ。

さて、会場の隅でロンジーを広げていると、友人の一人が巻くのを手伝ってくれた。わたしがやり慣れているのとは違う巻き方だが、きっちりしたやり方なので、総会という公式な場にはふさわしく思える。彼はデジカメでわたしのロンジー姿を撮り、それを見せてくれた。「そう、これこれ!」 わたしはすっかりご満悦だ。

そのまま元の席に戻って隣の席の前会長のZAW MIN KHAINGさんに自慢のロンジー姿をさっそく披露。

そのZAW MIN KHAINGさんの演説の後が、わたしの出番だ。

わたしは前に進み出て、会の旗に敬礼し、演説台越しにALD (Exile-Japan)のメンバーを見渡す。そして、件の骨太の名演説をはじめたのであった。と、思ったら、ロンジーが緩んだ。慌てて締め直すが、例の骨太がもう台無し! みんな笑ってるし。「やあ、愉快な顧問だ!」 

もうなるようになれだ。

ほうほうの体で席に戻ると、ZAW MIN KHAINGさんが「良かった!」と褒めてくれた。おカタい総会にも幕間の喜劇も必要だ、というわけ。なんにせよ、アラカンのみなさんの度量の広さに救われたという一幕で。

《後日談》
そのとき会場に居合わせた友人が、後で「素晴らしい話だった!」と言ってくれたので、うれしくなったわたしは「良かったって、どのあたりが良かった?」と尋ねたら、途端に困った顔で「ちょっとわかりません、すいません」と言われました。

2011/08/05

骨太の名演説(1)

アラカン民主連盟(亡命・日本)ALD (Exile-Japan)の会長HLA AYE MAUNGさんから、7月24日の総会で少し話をしてほしいと頼まれたのが、6月の終わり。

それまで、ひと月近く時間があったのだが、話の内容がまとまったのが、総会の直前。

もっともまとまるといっても、たいした長さではないので、それほど難しくはない。

とはいえ、せっかくの機会だから、自分としては一番伝えたいメッセージを盛り込む。頭の中ではズバリ骨太の名演説ができあがった。

会場に着くと、わたしは自分のスピーチの順番を確認。そして、速やかにロンジーを着用する。

ロンジーとは、ビルマの人々が、ズボンの代わりに普段着用する筒状の着物だ。ビルマのたいていの民族がこれを着ている(ただし、シャンとカチン文化圏ではズボン)。

南インドでもルンギー(タミール語ではチャーラム)といって同様のものを着るから、これはインド文化圏からビルマに伝わったにちがいない。

ならば、ベンガル湾に面するアラカン人の土地こそ、ビルマにおけるロンジー文化の発祥の地ではないか。もっともこれはわたしの憶測にすぎない。

それはさておき、アラカン人のロンジーはビルマ人やカレン人のそれとも異なる独特なもので、一言でいえばきらびやか。金糸や銀糸を密に織り込んだその生地は渋い光沢を放っている。模様はたいてい細かい斜め格子で、格子の中にも花のようなデザインが置かれている。

わたしはこのアラカン風のロンジーをある友人からいただいていた。そこで、この機会に着用に及んだというわけだ。ちなみにわたしのロンジーの生地はこんな感じ。

2011/08/04

ビルマまんが道

日本でも在日ビルマ民主化団体によって数種の雑誌が定期的に刊行されているが、そのどれを見てもたいてい載っているのがビルマの政治を風刺する一コマ漫画だ。

クオリティはさまざまで、面白いものもあれば、そうでないものもある。また、ビルマの人にしかわからないものもある。絵についていえば、もちろん上手な人もいるが、そうでない人もいる。

もっとも、絵が上手でなくても成り立つのが一コマ漫画というもの。また、それほど上手でなくても、描き続ければ、上達もするし、独特な味も出てくるのが絵の世界。

そのような味の境地に達したのものに、ある在日カチンの漫画家がいる。彼はタンシュエを描くにあたり、この軍事政権の最高実力者にものすごく醜い容貌を与えたのみならず、その軍服にウンコをあしらってみせた。

爾来、わたしはタンシュエを見るたびに、必ずウンコを想起するようになった。もっとも、その逆の現象は今のところおきてはいない。

また、在日カチン人にはもうひとり別の漫画家もいるが、この人の作品は群を抜いている。こうした作家たちの漫画をいつかまとめて紹介できればよいと思う。

ついでにいえば、入管への収容をきっかけに、漫画を本格的に描きはじめる人も多い。収容生活においてはそうした創作活動は命をつなぐ行為ともなりうるのである。

さて、BRSA(在日ビルマ難民たすけあいの会)では「セタナー」という機関誌を発行していて、今度の8月8日に第4号を出す予定だが、これにも漫画を毎号掲載している。

漫画を載せる、というのは編集長たるわたしの断固たる方針だが、実のところそんな方針がなくとも漫画は当たり前のように集まってくれるので、うれしいかぎりである(うれしいついでにわたしも漫画を描いて掲載してもらった。後ほどご紹介するとしよう)。

2011/07/27

スペインからメール

あるビルマ難民から「大変だ」と電話。

共通の友人であるビルマの人がトラブルに巻き込まれ、メールで助けを求めてきたというのだ。ちなみにこんなメール(原文は英語)。

「突然のメールで失礼。今実はプログラム参加のためスペインにいるのですが(お知らせしないですいません!)、とんでもない事態に陥ってしまいました。マドリードで乗ったタクシーに、パスポートと財布と携帯の入ったポーチを置き忘れてしまったのです。もうどうしたらいいか分かりません。そこで、恥を忍んで厚かましいお願いをさせてください。2500ユーロを至急送ってはいただけませんか。東京に帰り次第お返しいたします。送り先の銀行口座は次のとおりです・・・・・・送金が済み次第すぐにメールしてください。できるだけ早い便で帰ろうと思っていますので。よろしくお願い申し上げます。(本人の名前)」

この人には数日前会ったばかりだし、スペインに行くなんて聞いてない、と思って念のため本人に電話すると、いる。

なんでも「メールを乗っ取られた」とのこと。

「メールを乗っ取られた、奪われた」、これたまにビルマの人から聞く。

何者かにパスワードを変えられて本人がアクセスできなくなるのだ。自分の名前で変なメールを送られて困った思いをする人もいる。上記のようなのは迷惑メールというかもはや詐欺メールで、こんなのは初めて聞いた。

このような被害に遭った場合、被害者が疑うのは、軍事政権の妨害工作だ。「反政府活動を行う自分を軍事政権が汚い手を使って陥れた」と憤るのである。

わたしにはなんともいえないが、ひとつだけ確かなことがある。

みんな、自分の名前とかをパスワードにしちゃダメ!

けっこういい加減なパスワードを使ってるんですね。普通の人には分からなくても、慣れた人がやればそういうのはすぐにバレる。気をつけましょ。

2011/07/26

ムンガラーバー

7月24日日曜日の夜、高田馬場でアラカン民主連盟(亡命・日本)ALD (Japan-Exile)の総会が開催された。

ALD-Japanとしては6回目の総会(とはいえ、在日アラカン人の政治活動の歴史はもっと長い)。

わたしは顧問役を務めさせてもらっているので、当然出席。

だが、顧問といってもそれらしきことはしていない。ALDのみなさんの寛大さと友情の証しみたいなもので、こちらから感謝すべきようなもの。ありがたや。

今年の総会でも、顧問として「ひとこと祝辞を」ということで、一席ぶったのだが、このことについてはまた後で書こう。

総会の内容を紹介すると、HLA AYE MAUNG会長挨拶、ZAW MIN KHAING前会長挨拶、活動報告、会計報告などがあり、その後に役員選挙となっていた。

会の現況をいえば、会員数は91名。総会資料には、個々の会員の会費の納入状況などもしっかり記されている。総会の参加者はおそらく60名近くではなかろうか。みなさん元気そうだ。友人の一人が日本人女性と結婚して9月に父となるとのこと。これもうれしい話だ。

ところで、アラカン人にはアラカン語という言語がある。アラカン語というのはビルマ語と近い関係にある。たとえばビルマ語で「チェーズーティンバーデー(ありがとう)」 というが、アラカン語では「チェーズートンバーレー」となる。ビルマ語でご飯は「タミン」だが、アラカン語では「タムン」。

わたしの知識といえばその程度のものでしかなかったが、今回の総会で司会の方が、前会長のゾウミンカインさんを紹介するときに「ゾウムンカイン」と呼んでいるのに初めて気がついた。

これはさっきの「タミン=タムン」に含まれる「ミン=ムン」の対応の別の例だが、ゾウミンカインさんと呼び慣れていただけに少しビックリした。当然のことだけど。

なお、ビルマ語の挨拶「ミンガラーバー(こんにちは)」も「ムンガラーバー」といってた。

これらの事実をちゃんと評価できるほどのアラカン語・ビルマ語の知識はわたしにはないが、アラカン民族以外のビルマ出身者も数名招かれている総会で、あえてアラカン語らしさを保とうとしているところに、この6年間順調に活動を続けてきたALD (Japan-Exile)の自信があらわれているように思う。

会長のHLA AYE MAUNGさん。胸の装飾はアラカン人にとって大切な植物とのこと。

会場で配られたお菓子。

会場の様子。

会場の様子。

前会長のZAW MIN KHAINGさん。アラカン民族の国際的なリーダーの一人だ。

2011/07/23

百薬の長

アルコール問題でいろいろ周囲に迷惑をかけていたビルマ難民が入管収容所から出てきた。彼は日本語が非常に良くできる人で、お酒のせいでその能力を十分に発揮できないのをわたしはかねてから残念に思っていた。

たまたま会ったので話すと、ビルマの民主化について熱く語ってくれた。収容生活のせいで心身ともにボロボロだといっていたが、落ち着いた表情だ。酒臭くもない。

この世には完全な悪などないことを入管が証明してくれた。入管の収容も、アルコールを抜くのに有用なときもあるのだ。

だが、話しているうちに少々雲行きが怪しくなる。同席していた知人が彼にこう言ったときのことだ。

「酒は飲んじゃダメだよ」

彼は堂々と答えた。「ええ、もうお酒はあまり飲みません!」

あまりっ!

こんなこともいっていた。

「お酒は飲まれちゃダメですから」

飲むの前提っ!

だいじょぶか。