2010/02/24

カレン民族記念日式典

2月7日、在日カレン民族連盟(KNL-Japan)の主催で午後6時〜8時の間、東大島文化センターで、カレン民族記念日式典が行われたとのこと。

ビルマ政府に反対するカレン人が平和的なデモを行ったという史実に由来するこの式典の出席者はカレン人30名弱と日本人数名。通常なら他の民主化団体の参加もあるはずだが、カチンのグループ(KNO-Japan)だけが参加したそうだ。

これは、KNL-JapanがAUN-Japanを脱退したことに関係があるのかもしれない。

聞いた話によれば、この日ひとりの日本人ゲストが招かれたという。この日本人はタイ国境に行きカレン軍とともに闘った人物である由。KNL-Japanは彼に感謝状だか証明書だかを手渡したという。

別の人がいうには、この日本人は、日本の民族主義的政治団体の人らしく、「反政府」の人とのこと。カレン軍で軍事訓練をした経験により、日本で「昇進した」のだともいう。

KNL-Japanの顧問のトーマスさんに、この人のことを聞いてみたら、彼も式典の日にはじめて会ったという。

本当のことはわからないが、何となく不穏な感じだ。

KNL-Japanが近頃ますます孤立を深めている。これはこのグループにとってだけでなく、ビルマ難民にとっても、日本社会にとっても危険なことだと思う。

この団体がしばしばあらわにしてきた狭隘な民族主義、被害妄想的な排他主義、秘密主義、個人崇拝といった諸要素が、今年のカレン民族記念日でその本来の意義を無視する形で現れた暴力の容認(もしくは暴力的なるものへの鈍さ)と結びついたとき、なにが起きるか、歴史はその実例であふれている。

パドー・マンシャ追悼の会

2008年に暗殺されたKNU事務総長、パドー・マンシャの追悼の会が2月14日、中板橋のビルマのお寺で行われた(パドー・マンシャは仏教徒のポー・カレン)。

主催は在日カレン人有志で、30人ほどの出席があったという。

ぼくが行ったのは12時過ぎ。お祈りは午前中に終わっていたので、ご飯だけごちそうになる。まるで昼飯を食べにいったみたいだ。

最高に高い会議室

2月14日、午前11時、在日チン民族協会(CNC-Japan)の役員会議に出席する。

チン・フォーラムのビクター・ビヤックリアンさんが来日していて話をしていたのだが、その内容はともかく、この日の会議は、いつも資金難のCNC-Japanらしからぬ高価な場所で行われた。

その会場とは、豊島区民センターのイーストステージ・いけぶくろ (文化ホール)の舞台の上(写真)。このホールは200人強のキャパがあるが、この日会議に出席したのは、14人程度。

なんとも贅沢な会議だが、その裏には泣くに泣けない事情があった。

実はこの日、チン民族の日の式典を行う予定だったが、ビルマ連邦記念日式典がこの日にずれ込んだため、21日に延期せざるをえなくなったのだという。

CNC-Japanは式典のために午前と午後を押さえていたのだが、結局、午後はキャンセルし、午前は会議に使うことにしたのだそうだ。午前の会場費と、午後のキャンセル代で3万円以上、会議そのものは1時間半程度だったから、1時間の使用料が2万円以上という、実に高い会議となってしまった。

会議の後、恒例の集合写真を舞台の上で撮影したのだが、カメラのシャッターボタンを押す指にも心なしか力が入っていたような気がする。

辛そうで辛くない少し辛いラー油

品薄状態が続いていたという桃屋の「辛そうで辛くない少し辛いラー油」をカチンの方からいただく。

これは、揚げたニンニクと唐辛子のペーストと辛い油などでできた調味料で、なにに入れても美味しい。ビルマ料理の調味料にも似たようなものがあって(もっと辛くて臭いは強いけど)、日本のビルマの人々の間でもこのラー油は人気なのだそうだ。

しかし、日本人も唐辛子やニンニクを使った料理が好きになった。

15年前から日本に暮らしているカレン人がこんなことを言った。

「わたしが来たばかりの頃は日本人はそんなにニンニクは食べませんでしたね」

そういわれてみればそんな気もしなくはない。

2010/02/19

異議申立ての新証拠

第1次の難民認定審査で不認定だった人はたいていの場合、異議申立てを行って2次審査に臨むことになる。

異議申立てをする際には、「異議申立てに係る申述書」を出さなくてはならない。

この「申述書」は表紙を含めて3枚の紙からなり、次のような質問が記されている。

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1. あなたの難民不認定処分に対する不服の理由はなんですか。

2.難民不認定処分まで明らかにされなかった証拠書類又は証拠物はありますか。ある場合は、同書と共に提出してください。そして、その証拠により証明したい点は何ですか。具体的に書いてください

3.難民不認定処分までに明らかにされなかった証拠書類又は証拠物の提出を予定しているが、直ちに提出できない場合、その証拠は何ですか。具体的に書いてください。

(1) その証拠により証明したい点は何ですか。具体的に書いてください。

(2) 直ちに提出できない理由は何ですか。具体的に書いてください。

(3) いつまでに提出できますか。具体的に書いてください。

4.難民不認定処分までに明らかにされなかった申立てはありますか。ある場合は、具体的に書いてください。

5.その他、申し述べたいことがある場合は、具体的に書いてください。

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用紙に収まりきらない場合は別紙に記すことも許されている。

ビルマ難民の場合、3番めの質問に、ビルマから取り寄せる予定の写真や証明書、難民である事実を証明するような手紙、日本での活動記録などを記すことが多い。

あるカレン人の老婦人が、大胆にもこの質問3をこんなひと言で済ました。

「わたし自身が生きた証拠です」

ちょっと笑ってしまうが、こんなふうに書かざるをえないほど、ビルマ政府からの迫害に苦しんできた、ということだろう。

2010/02/16

第63回シャンナショナルデーにおける声明

第63回シャン・ナショナルデーにおいて発表された声明文を在日シャン民族民主主義会(SHAN NATIONALITIES FOR DEMOCRACY (JAPAN), SND-Japan)より送っていただいたので、以下掲載いたします。

第63回シャンナショナルデーにおける声明

1947年2月12日、パンロン議定書を結ぶ直前の2月7日にシャンナショナルデーを挙行してから、今年2010年2月7日で、丸63年を迎えました。これまで軍事政権は少数民族をないがしろに扱ってきたため、現在に至るまで、理想とする連邦国家の構築がかなわず、今も尚、様々な問題を抱えているのが現状です。

現在、シャン州における人々もビルマ全土に暮らす国民と同様に、政治的、経済的、社会的な面において、様々な困難に遭遇しています。独裁軍事政権は、純粋無垢な少数民族たちに対し理不尽な政策を押し付け、60年以上も間に渡り、過酷で屈辱的な生活を虐げているのです。

現在ビルマが抱える政治、経済、社会などの問題を解決するためには、全ての民族によって話し合う場が必要だと、少数民族である我々は固く信じています。話し合いの場には、自宅軟禁されているアゥン・サン・スー・チー氏をはじめとし、投獄されている少数民族リーダーたちの参加が無くては、意味のあるものにはなりません。

また、軍事政権が不当に作成した2008年の憲法は、少数民族の歴史を抹消すべく、巧みにつくられたことは明白です。

2010年に予定されている総選挙は、ビルマ国民、少数民族が歴史に刻んできた軌跡を葬り去るために実施される「まやかしの総選挙」であることは、国際社会も認識している周知の事実です。我々シャン民族は、その「まやかしの総選挙」は勿論のこと、その中核をなしている2008年憲法を、いかなる理由があろうとも受け入れられないと言うことを、第63回シャンナショナルデーのこの場におきまして、以下の声明で宣言致します。

1)新憲法の再策定の要求。特に、正当な民主化と、少数民族が有する権利を盛り込んだ憲法にすること。

2)アゥン・サン・スー・チー氏、ティン・ウー氏とシャン民族リーダーのクォン・トゥン・ウー氏を含め、シャン民族のリーダーたち、全ての政治囚を即時に釈放すること。

3)少数民族居住地域において戦闘区域を拡大させないこと、少数民族への非道な迫害や暴力を中止することを要求します。

在日シャン民族民主主義会

第63回シャン・ナショナルデー

2月7日、第63回シャン・ナショナルデー式典が、在日シャン民族民主主義会(SHAN NATIONALITIES FOR DEMOCRACY (JAPAN), SND-Japan)の主催により、午後 1時〜3時半にかけて、豊島区民センター6階ホールで行われた。

主な内容は、シャン民族の旗と歌、シャン・ナショナルデーの歴史と背景、シャン州の現状の説明、パワーポイントによる活動紹介、声明の発表、伝統的な歌舞の披露など。

各民族団体、、民主化団体が出席し、日本人の参加者も見られた。ぼくは歌と踊りを見ないで退出したのだが、その時点で出席者は60名強だったように思う。

シャン・ナショナルデーの歴史についての説明では、シャン人から見たビルマ独立史が語られていたようで、できたら通訳つきで聞きたかった。