ビルマ民族をはじめとしてビルマに暮らす多くの民族が姓を持たないことはすでに述べたが、もちろん姓を持つ民族もいる。
その代表的な民族がカチン人だ。これ以外にも、インド系の住民、中国系の住民、イスラム系の住民など姓を持つ民族はいるに違いないが、よく知らないので扱わない(中国系の人は中国名とビルマ名の両方を持っていることが多いようだ)。
カチン人の人名の基本的な構成は、「姓」+「名」であり、日本人の人名構成と同じだ。具体的にいえば次のような名前「BAWMWANG LA RAW」で、「ボウムワン」が姓にあたる。これを中黒法で書き表すと「ボウムワン・ラ・ロウ」となり、姓と名の区切りが分からなくなる。
とはいえ、姓が前に来ると決まっているのだから、1番目に中黒で区切られる要素が姓であるとすぐに分かるので、問題とはなりえない、ともいえなくはない。しかし、この「BAWMWANG」を「BAWM WANG」と分かち書きするケースもままあり、その場合そうした表記に忠実であろうとすると「ボウム・ワン・ラ・ロウ」と書かざるを得ない。要するに、中黒法ではカチン人の人名の「姓」と「名」の区切りを十分表記できないのだ(ちなみに、カチン語を表記するカチン文字は、ローマ文字をもとにしている)。
そこで、非中黒法、つまり以前に述べたような冠称と名の区切りに中黒を用いて、名の部分には中黒を用いないというやり方、つまり「ボウムワン・ラロウ」という表記のほうが優れているということになる。
とはいえ、これがいつでも上手くいくわけではない。あるカチン人にこんな名前の人がいる。
LASHI LABYA XXXXX
XXXXが名であり、したがって「LASHI LABYA」が姓となるのだが、だからといって「ラシラビヤ」というひとつの姓ではないのである。つまり、「ラシ」と「ラビヤ」はそれぞれ独立した姓であり、この人は二つの姓を名乗っていることになる。
とはいえ、これは夫婦別姓主義の家庭の子どもが両親の姓を二つ名乗っているわけではない。そうではなく、「ラシ・ラビヤ」とは「ラシ」の家系の中の「ラビヤ」系であることを示しているのである。
要するに、カチン人の「姓」は、その人がどの家系、別の言葉を使えばどの氏族(クラン)に属しているかの表示となっているのである。その点では、そうした機能がほとんどない日本の「姓」とは似て非なるものだ。
日本との比較はともかく、カチン人の目から見てこのLASHI LABYAが二つに分けられるべきものととらえられているのならば「ラシ・ラビヤ・XXXX」と表記する必要があろう。
さらに、カチン人はその「姓」とは別に、その人の家柄を示すある種の「称号」や、その人の社会的地位を示す冠称を名前に付けることがある。これらもやはり姓と同じく中黒で名と区別すべきであろう。
2009/03/16
2009/03/13
虚無への供物
NLD日本支部解放区のメンバーたちが、夏に富士山に登って、民主化勝利の祈願をした。その旅に同行したあるカレン人の活動家が、包装紙に包まれた箱をくれた。
つたない日本語でいろいろ説明してくれるのだが、どうもよくわからない。NLDの必勝祈願に関係あるらしい。箱の中身を聞くと「センベイ」という。
なんだか分からないが、とにかくもらっておこう。家に帰って箱を開けると、鰹節が入っていた。
ビルマの仏教のことはよくわからないが、何かお祈りをした時に仏さまに供物を捧げる習慣があって、その供物をお土産としてくれたもののようだった。そして、おそらく、その供物をビルマ語で「センベイ」とか何かそのような感じの言葉で呼ぶのだろう。
ぼくはこの習慣についてもっと詳しく知りたくなり、他のビルマの人に尋ねてみた。「センベイ」とか「セインベイッ」、いや「セイッベイン」かもしれない、そんなような言葉を知りませんか? だが、その人は分からないようだった。ひょっとしたら、ビルマ語ではなくカレン語なのかもしれない。
しばらくして、そのカレン人に偶然会う機会があった。ぼくが鰹節のお礼を言うと、彼はキョトンとしている。
そこで彼に思い出させると、驚いて言った。
「えっ、センベイじゃなかったの?」
つたない日本語でいろいろ説明してくれるのだが、どうもよくわからない。NLDの必勝祈願に関係あるらしい。箱の中身を聞くと「センベイ」という。
なんだか分からないが、とにかくもらっておこう。家に帰って箱を開けると、鰹節が入っていた。
ビルマの仏教のことはよくわからないが、何かお祈りをした時に仏さまに供物を捧げる習慣があって、その供物をお土産としてくれたもののようだった。そして、おそらく、その供物をビルマ語で「センベイ」とか何かそのような感じの言葉で呼ぶのだろう。
ぼくはこの習慣についてもっと詳しく知りたくなり、他のビルマの人に尋ねてみた。「センベイ」とか「セインベイッ」、いや「セイッベイン」かもしれない、そんなような言葉を知りませんか? だが、その人は分からないようだった。ひょっとしたら、ビルマ語ではなくカレン語なのかもしれない。
しばらくして、そのカレン人に偶然会う機会があった。ぼくが鰹節のお礼を言うと、彼はキョトンとしている。
そこで彼に思い出させると、驚いて言った。
「えっ、センベイじゃなかったの?」
2009/03/11
アウンサンスーチーかアウン・サン・スー・チーか(3)
ビルマの非ビルマ民族の名前は二つに分けられる。
ビルマ民族と同じように姓がなく、その代わりに冠称があるタイプと、そうではなく姓をもつタイプだ。
前者の民族にはカレン人、シャン人、パラウン人、モン人、チン人などが含まれる。例えばカレン人は男性の場合はSAW、女性の場合はNAWという冠称が用いられる。
とはいえ、これはスゴー・カレン人の場合で、ポー・カレン人ではMAHN(男性)、NANG(女性)である。
チン人のうちティディムのチン人はTHANG(男性)、LIA(女性)という冠称を用いている。あるチン人の女性のパスポートでの名前にMA LIA MANG XXXXというのがあったが、この最初のMAはビルマ語の冠称、次のLIAはチンのそれというわけで、冠称が2重になっている。
本来ならば、LIAのみで済ましたいところを、パスポート申請の際に若い女性だからということでMAをつけられた、あるいはつけるように強制させられたというところであろう。民族的な差異に関してビルマ行政がいかにこれを尊重せず、ビルマ民族の流儀を他民族に押し付けているかの一例である。
また話は脱線するが、非ビルマ民族のうちで若い頃に日本に来た男性に、しばしばMAUNGなにがしという名前がある。このマウンというのは若い男性につけられる冠称なのは前述のとおりであり、ビルマ民族の男性にはついていて何の不思議もないものだ。
そのようなわけで、例えば20代でパスポートを取得した非ビルマ民族男性にも、さきのビルマ政府の流儀によって不当にも、その民族の冠称や姓の代わりにこのマウンが適用されることになる。しかし、当人にとってはそもそも不本意な話である上に、日本滞在も長くなってマウンとは言えない年齢になると、さらにこのマウンが気になってくる。
しかも難民認定申請や認定後の生活はパスポートに記載された名前で行われるわけで、必要書類を揃えて役所に届け出て変更しないかぎり、このマウンと場合によっては一生付き合わなければならないはめになる。
「本当にこのマウンはいやで、取ってしまいたいんですけどね。どうも名前までビルマ人にバカにされているみたいで」とはあるカチン人の言葉である。
些細なことかもしれないが、こうした非ビルマ民族の気持ちを理解しているビルマ民族は、日本で難民認定された政治活動家のなかでもほとんどいない。ここにビルマ民主化と民族問題の解決の難しさがある。
ビルマ民族と同じように姓がなく、その代わりに冠称があるタイプと、そうではなく姓をもつタイプだ。
前者の民族にはカレン人、シャン人、パラウン人、モン人、チン人などが含まれる。例えばカレン人は男性の場合はSAW、女性の場合はNAWという冠称が用いられる。
とはいえ、これはスゴー・カレン人の場合で、ポー・カレン人ではMAHN(男性)、NANG(女性)である。
チン人のうちティディムのチン人はTHANG(男性)、LIA(女性)という冠称を用いている。あるチン人の女性のパスポートでの名前にMA LIA MANG XXXXというのがあったが、この最初のMAはビルマ語の冠称、次のLIAはチンのそれというわけで、冠称が2重になっている。
本来ならば、LIAのみで済ましたいところを、パスポート申請の際に若い女性だからということでMAをつけられた、あるいはつけるように強制させられたというところであろう。民族的な差異に関してビルマ行政がいかにこれを尊重せず、ビルマ民族の流儀を他民族に押し付けているかの一例である。
また話は脱線するが、非ビルマ民族のうちで若い頃に日本に来た男性に、しばしばMAUNGなにがしという名前がある。このマウンというのは若い男性につけられる冠称なのは前述のとおりであり、ビルマ民族の男性にはついていて何の不思議もないものだ。
そのようなわけで、例えば20代でパスポートを取得した非ビルマ民族男性にも、さきのビルマ政府の流儀によって不当にも、その民族の冠称や姓の代わりにこのマウンが適用されることになる。しかし、当人にとってはそもそも不本意な話である上に、日本滞在も長くなってマウンとは言えない年齢になると、さらにこのマウンが気になってくる。
しかも難民認定申請や認定後の生活はパスポートに記載された名前で行われるわけで、必要書類を揃えて役所に届け出て変更しないかぎり、このマウンと場合によっては一生付き合わなければならないはめになる。
「本当にこのマウンはいやで、取ってしまいたいんですけどね。どうも名前までビルマ人にバカにされているみたいで」とはあるカチン人の言葉である。
些細なことかもしれないが、こうした非ビルマ民族の気持ちを理解しているビルマ民族は、日本で難民認定された政治活動家のなかでもほとんどいない。ここにビルマ民主化と民族問題の解決の難しさがある。
2009/03/09
逆説
チェスタトンの『ポンド氏の逆説』ではないが、あるチン人がこんなことを言っていた。
「私の父は真面目で正直な公務員だったので、家族はとても困窮していました」
つまり、他の公務員が、その薄給の足しとしてするように賄賂を受け取らなかったということだ。
「私の父は真面目で正直な公務員だったので、家族はとても困窮していました」
つまり、他の公務員が、その薄給の足しとしてするように賄賂を受け取らなかったということだ。
2009/03/07
訃報
在日ビルマ民主化団体のビルマ民主化同盟(League for Democracy in Burma, LDB)の指導者のひとりであるコートーナイン(KO TOE NAING)さんが3月6日午後3時、都内の病院で亡くなられたそうです。ご冥福をお祈りいたします。
2009/03/06
アウンサンスーチーかアウン・サン・スー・チーか(2)
ビルマ人の名前には姓がなく、原則的にはアウンサンスーチーならそのすべてが名だ。
いっぽう、ビルマ語には冠称というものがある。これは人名の前についてその人が1)男性であるか女性であるか、2)年の頃はいかほどかを示すものだ。具体的にはおおよそ次のようになるようだ。
〈男性〉
ウー 年上
コー 同年代もしくは少し年上
マウン 年下
〈女性〉
ドー 年上
マ それ以外
例えばアウンサンスーチーさんの場合は、年齢的にいっても地位からいってもドーにふさわしく、ドー・アウンサンスーチーとかドー・スーとかいわれているのをよく耳にする。
ある部分では日本語の「さん」「さま」に対応するものと見ていいが、それでも違いはある。
例えば、自分で名乗る時にもこの冠称を自分でつける場合がある。たとえば「わたしはウー・ティンウーです」というような場合がそれで、これを日本語の「さん」にそのまま置き換えてはおかしい。
ビルマの人が電話をかけてきて時々「わたしはティンウーさんです」と、自分にさん付けするのをいつも変だなと思っていたが、もしかしたらこの冠称の用法と関係があるのかもしれない。
それはさておき、もうひとつの違いは、登録証、パスポートなどにもこの冠称がそのままついている場合もあることだ。つまり、名前の一部として登録されてしまっているのである。そうなるとこの冠称を名前の一部として扱わなくてはならなくなる。
非中黒法、つまり名前の構成要素を中黒で区切らない表記法の利点は、このように冠称と人名を併記しなければならない場合に、冠称と名前を中黒によってはっきりと区別することができることにある。
つまり非中黒法のドー・アウンサンスーチーのほうが、中黒法のドー・アウン・サン・スー・チーよりも、名前と冠称の区別がしやすいという点で優れている。
もちろん、名前と冠称の区別ならば、別の区切り記号を導入すれば、中黒法でも可能である。例えば、ドー=アウン・サン・スー・チーというのがそれで、冠称と名前との区切りの印として=を導入したわけである。
これでも悪くはないのだが、=という記号を別に導入するのは、表記法を複雑にするわけで、できたら中黒ひとつ、しかもできるだけ少なくしたいものだ。
さて、これまではもっぱらビルマ人の人名ばかり扱ってきたが、もちろんのことビルマに住んでいるのはビルマ人ばかりではない。カチン人、チン人、カレン人などさまざまな民族が暮らしている。そこで次回はこれらの非ビルマ民族の名前の表記をも考慮に入れて、中黒法か非中黒法のどちらがよいかを論じてみよう。
いっぽう、ビルマ語には冠称というものがある。これは人名の前についてその人が1)男性であるか女性であるか、2)年の頃はいかほどかを示すものだ。具体的にはおおよそ次のようになるようだ。
〈男性〉
ウー 年上
コー 同年代もしくは少し年上
マウン 年下
〈女性〉
ドー 年上
マ それ以外
例えばアウンサンスーチーさんの場合は、年齢的にいっても地位からいってもドーにふさわしく、ドー・アウンサンスーチーとかドー・スーとかいわれているのをよく耳にする。
ある部分では日本語の「さん」「さま」に対応するものと見ていいが、それでも違いはある。
例えば、自分で名乗る時にもこの冠称を自分でつける場合がある。たとえば「わたしはウー・ティンウーです」というような場合がそれで、これを日本語の「さん」にそのまま置き換えてはおかしい。
ビルマの人が電話をかけてきて時々「わたしはティンウーさんです」と、自分にさん付けするのをいつも変だなと思っていたが、もしかしたらこの冠称の用法と関係があるのかもしれない。
それはさておき、もうひとつの違いは、登録証、パスポートなどにもこの冠称がそのままついている場合もあることだ。つまり、名前の一部として登録されてしまっているのである。そうなるとこの冠称を名前の一部として扱わなくてはならなくなる。
非中黒法、つまり名前の構成要素を中黒で区切らない表記法の利点は、このように冠称と人名を併記しなければならない場合に、冠称と名前を中黒によってはっきりと区別することができることにある。
つまり非中黒法のドー・アウンサンスーチーのほうが、中黒法のドー・アウン・サン・スー・チーよりも、名前と冠称の区別がしやすいという点で優れている。
もちろん、名前と冠称の区別ならば、別の区切り記号を導入すれば、中黒法でも可能である。例えば、ドー=アウン・サン・スー・チーというのがそれで、冠称と名前との区切りの印として=を導入したわけである。
これでも悪くはないのだが、=という記号を別に導入するのは、表記法を複雑にするわけで、できたら中黒ひとつ、しかもできるだけ少なくしたいものだ。
さて、これまではもっぱらビルマ人の人名ばかり扱ってきたが、もちろんのことビルマに住んでいるのはビルマ人ばかりではない。カチン人、チン人、カレン人などさまざまな民族が暮らしている。そこで次回はこれらの非ビルマ民族の名前の表記をも考慮に入れて、中黒法か非中黒法のどちらがよいかを論じてみよう。
2009/03/04
アウンサンスーチーかアウン・サン・スー・チーか(1)
ビルマ人の名前の表記でしばしば問題になるのは、「アウンサンスーチー」か「アウン・サン・スー・チー」のどちらか、つまり、名前の区切りごとに中黒(・)を入れるべきかどうかということだ。
きちんと調べたわけではないが、ビルマ問題の専門家が書いたものでは中黒を入れないものが多く、新聞などではいちいち区切っているものが多い。
どちらでもいいと言えばいいことなのだが、その双方に一長一短のあることを記す。
中黒を入れる表記法の長所は、その名前がどのような要素からなり、またどこで切れるかが分かることだ。
例えば次のような名前の場合、ビルマの名前についてある程度の知識がなければどこで区切るかは普通は分からない。
キンマウントゥン
これはローマ字つづりKhin Maung Tunを見れば分かるように、「キンマ・ウン・トゥン」でも「キン・マウントゥン」でもなく「キン・マウン・トゥン」と区切るのが正しい。
中黒を入れる表記法は、このようにビルマ語の知識がない人に名前の区切りを示す意味で有効であるが、この名前の区切りの知識が、そうした人にとってどの程度役に立つのかを考えると、たいして役に立たないような気がする。ただし、声に出して読む場合は、どこで区切りがあるかの情報は重要であることは確かだ。
さて、それではこの中黒法の短所はどうかというと、まず第一に煩雑だと言うことである。第2に、ビルマ人の名前を書くさいに、書き手はあらかじめその人名の語の区切りというやや高度な情報を知っていなくてはならず、その情報は常に誰でも把握可能ではないことが挙げられる。
つまり、ビルマ文字が読めるか、その名前のローマ字表記資料が手元にあるか、それとも名前を聞いただけで、区切りが分かるだけのビルマ語知識を持っているかでなくてはならず、これはいつでも誰でもできるといった条件ではないのである。
そこで、次回は中黒を用いない名前表記の方法、いわば非中黒法の長所短所を記すことにする。
きちんと調べたわけではないが、ビルマ問題の専門家が書いたものでは中黒を入れないものが多く、新聞などではいちいち区切っているものが多い。
どちらでもいいと言えばいいことなのだが、その双方に一長一短のあることを記す。
中黒を入れる表記法の長所は、その名前がどのような要素からなり、またどこで切れるかが分かることだ。
例えば次のような名前の場合、ビルマの名前についてある程度の知識がなければどこで区切るかは普通は分からない。
キンマウントゥン
これはローマ字つづりKhin Maung Tunを見れば分かるように、「キンマ・ウン・トゥン」でも「キン・マウントゥン」でもなく「キン・マウン・トゥン」と区切るのが正しい。
中黒を入れる表記法は、このようにビルマ語の知識がない人に名前の区切りを示す意味で有効であるが、この名前の区切りの知識が、そうした人にとってどの程度役に立つのかを考えると、たいして役に立たないような気がする。ただし、声に出して読む場合は、どこで区切りがあるかの情報は重要であることは確かだ。
さて、それではこの中黒法の短所はどうかというと、まず第一に煩雑だと言うことである。第2に、ビルマ人の名前を書くさいに、書き手はあらかじめその人名の語の区切りというやや高度な情報を知っていなくてはならず、その情報は常に誰でも把握可能ではないことが挙げられる。
つまり、ビルマ文字が読めるか、その名前のローマ字表記資料が手元にあるか、それとも名前を聞いただけで、区切りが分かるだけのビルマ語知識を持っているかでなくてはならず、これはいつでも誰でもできるといった条件ではないのである。
そこで、次回は中黒を用いない名前表記の方法、いわば非中黒法の長所短所を記すことにする。
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